貞和4年(1348年)伊東氏によって築かれたと云われる。 貞和4年(1348年)祐重が日向に下向したとき、一族の守永祐氏に奪われていた都於郡城を取り戻すまでの、仮の城として築いたのが石野田城だという。
石野田城は三財川北側の台地の南端に築かれている。広大な台地の南西隅に地蔵堂が建立されており、ここに案内板が設置されている。
広大な台地の上はほとんど開墾されており、遺構は不明であるが、地蔵堂の背後に大きな土塁状の土盛り、側面に通常規模の土塁、東側に小さな溝が残る。
南下を通る県道沿いに参道がある。