築城年代は定かではないが室町時代に深堀氏によって築かれたと云われる。 深堀氏は相模国三浦荘発祥の三浦氏の一族で建長7年(1255年)八浦荘地頭職を得て能仲が下向して深堀氏を名乗った事に始まる。
鎌倉時代以降一貫してこの地を治め、江戸時代には佐賀藩鍋島氏の家老として深堀陣屋を築いている。
俵石城は深堀町の南に聳える標高350.4mの城山山頂に築かれている。 大籠町から続く登山道を登って行くと、標高230m付近にこの城の名の由来となった俵石が無数に転がっている。俵石は円柱形の自然石のようにみえる。
登山道に戻って山頂に向かうと、城山の南斜面に五条の竪堀群が現れる。登山道の東に三条、西に二条あり、それぞれ外側の一条が深くなって良く残っている。
山頂は概ね平坦であるが自然傾斜が残っている。西側に八幡神社が祀られており、そこへの参道が西尾根に伸びている。この城の特徴は標高340m〜350m付近外周約600mに及ぶ横堀である。横堀は内側に石積があり、虎口と見られる開口部は外側にも石積が見られる。積んでいる石は西と東では異なっている。横堀は概ね曲線を描くように周囲を巡っているが北東側では折れがあり、突出している部分もある。曲輪の内部には一切区画がなく、一面緩傾斜である。
深堀町から西の県道244号線沿いに南下して大籠町に入ると「善長谷カトリック教会」への道標がある。この「善長谷カトリック教会」まで車で登ることができる。ここから教会の西側の階段を道なりに真っすぐ登ると奥に一軒の民家が見える。道はその民家の脇を越えて更に続くのでこれを進んで行くと八幡神社へ至る登山道の道標がある。俵石へは途中道標があり、踏み跡をたどって山腹をおりて行った所にある。
最寄り駅(直線距離)