肥前 丸木館ひぜん まるきやかた
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築城年代は定かではない。福田氏の館で、永禄8年(1565年)横瀬浦が壊滅したのちは南蛮貿易の拠点となり、元亀元年(1570年)頃に長崎港が開港して南蛮貿易の拠点が移るまで繁栄した。この頃に福田大和守忠兼によって詰城として福田城が築かれたと考えられている。
福田氏は大村氏の家臣で、江戸時代も大村藩の家臣として続いた。
丸木館は福田港の西側にある平地に築かれていた。現在は密集した宅地になっており、遺構の確認は難しいが、道路に面して一部石積が残されている。