肥前 宇都宮国綱陣ひぜん うつのみやくにつなじん
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宇都宮国綱は下野国宇都宮城主で文禄の役に参陣したが、慶長2年(1597年)に改易となった。慶長の役ではお家再興を願って参陣するも秀吉の死によって再興は叶わなかった。
宇津(都)宮弥三郎(国綱) 五百騎。
宇都宮国綱陣は畑として開墾されていたようで、西の道路に面して土塁が残されているが残存具合は良くない。