九鬼嘉隆は文禄の役の時、志摩国鳥羽城主三万五千石の大名であった。
地図によっては「上杉景勝陣跡」あるいは「九鬼守隆陣跡」となっているが、九鬼嘉隆の陣とされる。正確には少し北方に位置する。ちなみに守隆は九鬼嘉隆の二男である。
文禄の役では九鬼嘉隆は舟手衆として水軍を率いて渡海して戦った。
九鬼大隅守(嘉隆) 千五百騎。
九鬼嘉隆陣は県道301号線沿いに面して公園として整備されている。 公園となっているものの案内板は樹木に遮られ読みづらい。遺構はないようで、案内板には旗立石があると書いてあるが、見つからない。