徳川家康は文禄の役の時、武蔵国江戸城主二百四十万石の大名である。家康は名護屋で在陣しているが渡海はしていない。
徳川家康の陣は名護屋浦を挟んで東西にあり、こちらが西が本陣、東が別陣である。 その規模は西側の方が小さい。
江戸大納言(徳川家康) 一万騎。
徳川家康陣は名護屋保育園の北側にある忠魂碑の建てられた丘に築かれていたという。 保育園脇から登る階段脇に角石垣が残されており、丘上には「竹ノ丸陣址」の石碑が建っているが、遺構はあまりない。
この地とは別に、対岸に徳川家康別陣があり、こちらは割と遺構が残っている。