富田信則はおそらく伊勢国安濃津城主六万石の大名である富田一白のことと思われる。
名護屋城で頂いた「名護屋城跡陣跡位置図」に紹介されていたので訪れたのだが、「富田信則」という名が誰を示すのかわからない。このパンフレットには近くに「長束正家・富田知信」とあり、近くに「歴史探訪の道」という案内板があったようなのだが、これを見てくるのを忘れた。この富田知信は一般的に富田一白を示すのだが、実は一白の嫡男富田信高の初名とされる。
富田一白は文禄の役で渡海して戦っており、文禄3年(1594年)には伏見城の普請も分担している。
富田左近将監(一白) 六百五十騎。
富田信則陣は名護屋小学校の西側の道路を北へ降りた所にある天神社一帯に築かれていたという。 明確な遺構は見あたらないが、鳥居の脇に旗立石が残されている。