肥前 大野治長陣ひぜん おおのはるながじん
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大野治長は秀吉に馬廻として仕えた側近で、所領は一万五千石という。
慶長4年(1599年)徳川家康暗殺事件の容疑により、下総国結城へ追放されたが、翌年関ヶ原合戦で東軍について功を挙げ、罪を赦された。その後、豊臣秀頼に仕え、大坂の陣で秀頼とともに自刃して果てた。
大野修理太夫(治長)。
大野治長陣は現在の名護屋小学校の辺りにあったという。遺構はなく、標柱も見つからなかったが北下の道路沿いに「徳川家康・大野治長」の「歴史探訪の道」案内板が設置されていた。