前田利家は文禄の役の時、加賀国金沢城主で百万石の大名であった。
文禄元年(1592年)前田利家は諸侯に先駆けて京を出立し、肥前名護屋へ向かった。 名護屋では自ら渡海して采配を振るおうとした豊臣秀吉を諫め、秀吉の母大政所が危篤となって名護屋を離れると、徳川家康とともに名護屋で采配を振るった。
前田加賀守(利家) 八千騎。
前田利家陣は道の駅「桃山天下市」の南の山に築かれている。 道の駅の第二駐車場から南方を見ると石垣の虎口が見える。
前田利家陣は山上の遺構と北麓の遺構から成る。麓の遺構は左折れで入る内桝形の虎口がある。発掘調査では外側にも食い違いの虎口が検出されている。発掘調査によって掘立柱建物跡、池泉跡、雪隠跡、石組み井戸跡、旗立石が見つかっている。
山上の遺構は麓と異なり、低い土塁や石塁、堀状の溝が残されているが、概ねなだらかな地形である。麓部分から登り、東側の林道へと降りてみたが、山腹には帯曲輪、腰曲輪といった階段状の曲輪が付いている。