築城年代は定かではないが建久年間(1190年〜1199年)に中原師員(竹迫輝種)によって築かれたと云われる。 中原師員ははじめ原口城を居城としていたが、後に竹迫城を築いて移り竹迫氏が代々居城とした。しかし永正7年(1510年)竹迫公種の時に豊後国の大友義鑑に従って豊後国へ移って廃城となったという。
その後、永正8年(1511年)合志高岑が池上城より竹迫城へ移り、合志城と改めて居城とし、合志氏が続いたが天正13年(1585年)島津氏によって攻められ落城した。
現在は竹迫城跡公園となっている。 本丸の周囲には低土塁が残り、本丸の北側に堀が巡らされているが、芝生が植えられてあまりに整っているので、どの程度残っていたのが気になる所ではある。
案内板に掲載されている古地図が良く書かれており、池や川の流れなどは全くかわらず残っている。
公園の南側に駐車場がある。
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