築城年代は定かではない。菊池十八外城の一つとされ、城主は林原与三隆益で林原氏累代の居城という。
康暦元年(1379年)今川了俊との板井原合戦の舞台となり、今川軍によって攻め落とされた。
菊池氏が滅亡した後は怒留場飛騨守が城主となったという。
打越城は北西に伸びた舌状の丘陵に築かれていたと云われる。現在この丘陵を南北に切り通した車道の東側に石碑と案内板が設置されている。ここより西は墓地や神社、東は山林で城郭遺構はないようだ。
南の県道53号線沿いに道標が出ている。墓地の脇を通る切通の南端から東の山上に登る道が付いており、この上に石碑と案内板がある。
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