肥後 御宇田城ひご みうたじょう
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築城年代は定かではない。 延長3年(925年)藤原光重が御宇田の地へ下向したことに始まり、戦国時代は菊地氏家臣御宇田氏が城主であったとされる。
現地の標柱には「鳴滝城」とあり、御宇田城は水田の中にあったという。 しかし、日本城郭体系では「古城考」にある早鷹天神と田楽天神の廟があるところが城址だという記述に疑問を持って、古老の話や地名などで、軍人墓地のある地が御宇田城跡ではないかとしている。
城は御宇田を見下ろす北の丘にあり、現在軍人墓地となっていり、わずかに土塁と堀跡が残っている。