築城年代は定かではない。城主は寿永年間(1182年~1185年)に木曽義仲に敗れた平家の落武者であった大窪鎌太と伝えられる。
大窪鎌太館は国道417号線と天王川との間に築かれており、平地城館としては遺構の残存度が高く貴重である。
東西にやや長い長方形で北辺を除く三方を土塁で囲んでおり、天王川に面した北側は北西の一部のみ土塁が残る。堀は北西隅付近に明確に残っている以外はほぼ埋められている。
虎口は土塁が3ヶ所開口しており、西辺北側、東辺南側、南辺東側である。すべて平入であるが、西辺北側は内部に土塁のような地形が残っており、単純な平入ではなかった可能性がある。
一般的に川に面した立地の場合、川まで土塁と堀を伸ばすことが多いが、当城では東辺土塁は川まで伸びず開口している。館と川の間に幅の狭い溝が通っており、これが街道の名残と考えられている。
国道から土塁が見ているが案内板などは設置されていない。国道沿いの余白に駐車可能。
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