享保2年(1717年)松平直之によって築かれた。 糸魚川は北陸道の要所で、松平忠輝が福島城に入部したときは、重臣松平信直が城代として清崎城に入った。 天和元年(1681年)越後騒動により高田藩主松平光長が改易となると、清崎城は廃城となり、後に入部した有馬清純、本多助芳は小規模な陣屋を置いただけだった。
享保2年(1717年)松平直之が一万二千石で入封。松平氏は定府大名として江戸にいたため、陣屋には郡代が置かれ、松平氏は8代150年続き明治に至る。
糸魚川陣屋は横町2丁目付近に築かれていた。 唯一井戸が現存していたが、訪問した先月に道路から出ていた石の部分が削られ道路として蓋がなされてしまった。こうしてわずかに残された遺構も、日々なくなっていくものだと痛感した日だった。
井戸があった場所は、県道222号線秋葉神社から100m程東へ行くと、北側に「酒」「みそ」の看板が掛かるお店があります。このお店の反対側に県道から更に一本南に小道があります。この小道の中央に井戸がありました。
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