築城年代は定かではない。一説に天正10年(1582年)に上杉景勝による築城とも云われる。
城将は須賀盛能、秋山伊賀守定綱、荻田主馬などが務めた。また天正13年(1585年)羽柴秀吉と上杉景勝がこの城で会見したとも伝えられる。
勝山城は越後と越中の間にある親不知子不知にほど近い、標高328.3mの勝山に築かれている。現在は山頂まで登山道が整備されている。
勝山城の主郭は勝山山頂にあり、麓から尾根伝いに続く登山道を登り詰めた所が主郭である。しかし、本来の大手は地獄谷と呼ばれる東の谷であっただろうか、今でもその辺りから山道の痕跡があり、谷筋に曲輪も残っている。
主郭背後の尾根には尾根を土塁として残したような曲輪などがあるものの、ほぼやせ尾根で曲輪として造成しておらず、堀切が点在しているのみである。谷からちょうど登ってくる辺りの山腹に曲輪があり湧き水が出る。
登山道は国道8号の勝山トンネル東口近くで、ちょうど閉店しているドライブインの所に駐車可能である。この駐車場から南の山側へ道路を横断すると登山道入口がある。
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