築城年代は定かではないが国分氏によって築かれたと云われる。
萩生国分氏は伊達氏の家臣で、伊達氏が長井氏を敗って置賜郡を手中に治めると、嘉慶2年(1388年)国分政信に萩生郷を与えたことに始まる。
萩生国分氏はその後も代々続き、天正19年(1591年)伊達政宗が岩出山に転封となると、これに従い国分信行は柴田郡成田へ移った。
萩生城は奥徳寺の東にある城址公園一帯に築かれている。萩生城は複郭の平城で、東側の城址公園が本丸、西側にある奥徳寺が出丸と考えられている。
遺構は本丸の西から南に土塁と空堀、出丸も北から西に掛けて土塁と空堀が残っている。本丸の東にある公園入口がかつての表門跡とされる。
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