築城年代は定かではない。宝珠山山城守が城主であったと伝えられる。天正年間(1573年〜1592年)頃は秋月氏の所領で、宝珠山山城守は秋月氏の家臣と考えられている。
関ヶ原合戦後に筑前に入封した黒田長政は黒田六端城の一つとして改修、家臣中間六郎右衛門統胤に二千五百石を与えて城主とした。元和の一国一城令によって廃城となった。
他の黒田六端城の城主が黒田二十四騎の一人で一万石以上の大身であるなか、この中間氏は黒田氏が豊前国に入封した後に仕えた家である。中間氏は豊前の国衆である城井氏(豊前宇都宮)、野中氏、山田氏が蜂起して黒田氏に対抗したのに対し、従属して山田氏討伐の功を挙げ、黒田姓を賜っている。
松尾城は国道211号線と国道500号線が交わった地点の北方にある、比高50m程の丘陵に築かれている。
他の六端城と同じくこの松尾城も廃城の際に破却されて石垣も崩されたものと思われるが、現在は石垣もきれいに積み直され、県指定史跡として非常に良く整備されいる。
主郭部は東西二段で東が高く、長方形で総石垣造り、内部には上下段ともに礎石があるが発掘調査では瓦は出土していない。西側には枡形虎口を設け、東西中央部には南北両側に張り出しの櫓台を設けて横矢を掛ける。東側は隅部が入隅になっている。
北側の斜面には畝状竪堀群があり、東の尾根には三重の堀切が残っている。
道の駅小石原を目指す。道の駅の脇の国道211号線を北上すると211号線は左へ曲がることになるが、そのまま直進した所に入口の案内があり、大きな駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)