築城年代は定かではない。山岳修験の拠点であった英彦山衆徒の城で、永禄11年(1568年)と天正9年(1581年)にいずれも大友方によって攻められた記録がある。
上仏来山城は英彦山から西へ派生した尾根の一つ、銅鳥居の南側に聳える標高685mの上仏来山に築かれている。
山頂部には中央に土塁の付いた平段があり祠が祀られており、この辺りが主郭となる。ここから北、西、東三方に平段があり、側面には帯曲輪が残る。南西尾根は堀切があり竪堀が長く伸びている。北端の西側面、南側面にも一部竪堀形状があるが、畝状竪堀群のようには見えなかった。
現在の登山道から主郭部に入る東端に右、左に二回折れる虎口があり、その周辺に石積が確認できる。
登山道はあるが道標などはない。英彦山参道の銅鳥居から階段を上っていくと立派な宝篋印塔が見えてくる。そこから参道を離れて南へ歩くと「彦山生物実験施設」という看板が掛かった所に至るが、ここのガードレールから下へ少し降って行く山道を歩くと上仏来山に至る。
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