築城年代は定かではない。 城主は野尻紀伊守と伝えられ、天正14年(1586年)鶴崎城を巡る島津氏との戦い(乙津川の合戦)で討死したという。
『大分の中世城館』ではフロイスの『日本史』にしばしば現れる清田城ではないかと推測している。
小岳城は判田川に面した標高287.6mの小岳山頂に築かれている。 地名は「コダケ」と読むようであるが、『大分の中世城館』は「オダケ」とルビが振ってあるので後者を採用している。
主郭は山頂で広くなっているがやや凹凸がある。南下は帯曲輪のようで果樹園、北下に小さな明社神社がある。西側山腹に畝状竪堀群があり、この城の最大の見所である。
山頂付近まで車道が付いており、山頂のすぐ下に天守のような建物が建っている。
山頂すぐ下まで車道が付いているが狭いので小岳山神社に駐めるのが良いだろう。ここまで登る道も集落があるにもかかわらず路肩が崩れそうな細い道である。
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