築城年代は定かではない。建久年間(1190年〜1199年)頃に大神氏の一族阿南氏の城があったという。
天正14年(1586年)大友宗麟の家臣柴田遠江守紹安は日向国境近くの朝日嶽城の守備を任されていたが、島津家久の軍勢が迫ると家臣帆足市弥太の諫言を無視して島津軍に寝返った。家久は寝返ってきた紹安を信用せず、妻子は人質として星河城、紹安は監視を付けて天面山城(天連城(あまつらじょう))に留め置いた。 ところが、星河城は大友家の佐伯惟定によって攻め落とされ、妻子は捕らわれたり殺されたりした。これを悔いた紹安は今度は島津を裏切って大友方となったが、これを察知した島津軍によって取り囲まれ討死して果てた。
天面山城は標高403.0mの天面山山頂に築かれている。現在は天面山森林公園として整備されている。
主郭部は山頂にあり、南端の最高所から小さな段が北に向かって数段付いている。北端の東下には横堀があり、南側は帯曲輪のようになっている。
主郭部の北東下が駐車場であるが、そこから北東へ伸びる尾根にも遺構があり、一部外側に土塁が付いたすり鉢状の地形がある。北東端部はキャンプ場となっており大きく改変されている。
北麓の県道622号線沿いに天面山への道標があり、舗装された林道が主郭の北東下の駐車場まで付いている。
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