文明16年(1468年)に築かれたといわれるが定かではない。永禄12年(1569年)に浦上宗景が城を築いて家臣の日笠源太を城将としたが、宇喜多直家の家臣花房助兵衛(花房職秀)に攻められ落城、日笠源太は討死したという。
狐塚城は伊部と西片上との境に聳える標高145mの山頂に築かれていたという。
国道374号線を走行中に標柱が見えたので立ち寄ってみたのだが、本丸と思われる山頂部に案内板が建っているだけで、遺構はない。山上はなだらかな地形が続くのみで、曲輪や堀らしきものは見あたらない。岡山県の城跡だと「おかやま全県統合型gis」に登録されているはずなのだが、これにも登録されておらず、狐塚城の名は近くの宮山の南西付近にあり、また別名として記載されている伊部城も伊部の奥地にあり、よくわからない城である。
国道374号線で伊部と西片上との境付近に公園があり、そこから道が付いている。また国道2号線沿いにある真光寺からの道もあるようだ。
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