正慶2年(元弘3年、1333年)内藤河内守実豊によって築かれたのが始まりとされる。
天文年間(1532年~1555年)に内藤氏が没落したのちは大内氏の家臣上村壱岐守員貞が城主となったという。
新庄城は東西に伸びた比高130mほどの尾根上に築かれている。
最高所にある主郭Iを中心にII、III、IV、Vの曲輪群があり、その周囲を高い切岸で覆っている。
東尾根は二重堀切1、西尾根は大堀切3で尾根から切り離し、北側面には切り立った高切岸の下方の緩斜面に畝状竪堀群2を設けている。一方南側面は比較的急坂ではあるものの堀切脇の竪堀を除けば目立った遺構は存在せず、こちらから山道がいくつか伸びている。
主郭Iの北下には曲輪IIIとIVを結ぶように武者走りが存在し、これは畝状竪堀群を上から攻撃するのにも有用である。畝状竪堀群の一部は人頭大の石を使っているところもあるが、茶臼城(三和町)程ではなく周囲には石が多く散乱している。
西の県道から分岐するところに案内板が設置されており、そこから道標がある。登口は西尾根の車道から作業林道を経由して尾根伝いに登るようになっている。
駐車場はないが近くに路駐可能。