詳細不明。紫城の支城で平川氏の家臣江草右京などが在城していたという。
北丸城は標高611mの山から東へ伸びた尾根の先端にあり、下郷川からの比高は160mほどであるが、西の前北集落よりはやや低い位置に築かれている。
曲輪の面積は広くはないが、複数の段に分かれており最高所Iが主郭となる。曲輪IIIは高い切岸の下方に位置している。
主郭の北側には広く削り込まれた空間があり、北側を通路として曲輪IIに繋がる。一方南側方形に削り込んだ部分があり、曲輪IIとBに繋がる。このうちBは外部との虎口であった可能性が考えられ、下方には尾根先に降って行く山道が確認できる。
尾根の先端には堀切1、北側面には畝状竪堀群2がある。一方集落と尾根続きとなる西尾根は堀切3の先に空間Aがあり、その先もやや削り込んだ堀状地形が確認できる。
この空間Aは内側を削りこんで外側を土塁状に残すが、外側は自然傾斜で削り込まれておらず城郭遺構ではないと思われる。
西の前北集落から標高611.1mの山の西鞍部まで車道が続いており、鞍部に駐車可能である。ここから山に入るところに「北丸之城」の看板が落ちていた。
一旦登って東尾根に下っていくのでGPSで地形を確認しながら行くのが良い。山道も残っているが、笹薮が続くので道はみえない。