築城年代は定かではないが赤川氏によって築かれたと云われる。
赤川氏の出自には諸説ある。現地案内板では応永15年(1408年)足利義満の命により下野国那須郡佐々山城からこの地へ移り、青掛山城を築いたとする。また『萩藩諸家系譜』などでは信濃国赤川邑を領した小早川氏の庶流が赤川氏で、赤川忠政のとき毛利時親に従って安芸国吉田に下向したのが始まりとする。赤川氏は毛利元就が家督を相続するときに作られた宿老15人の連署状のなかに赤川十郎左衛門尉就秀、赤川左京亮元助(元保)の名があることから、毛利氏が勢力を拡大していく過程より前の時点で毛利氏の有力な家臣であったことがわかる。
青掛山城は標高550.5mの青嶽山に築かれていた。現在は山頂一帯に電波塔がたち、山頂まで車道が通じている。
現状、山頂部は電波塔の建設や公園整備などによって改変されたと考えられ、ざっと歩いてみたものの山城が築かれていたという雰囲気は感じられなかった。『日本城郭大系』では三角点のある山頂部を詰とし、南へ伸びた尾根側に曲輪を描く。『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』は西と南へ伸びた尾根を城域として描く。
山頂まで舗装された林道が続いており、山頂にはトイレもある。
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