詳細不明。城主は山本左馬介兼一で三村氏の家臣であったという。天正2年(1592年)に落城したとも伝えられる。
山本城は高梁川に面した標高164mの山に築かれている。現在城の西側に林道が通っているが、このあたりに古い峠道があり、南北に行き来するには城の西側を通っていたようである。
山本城は西の曲輪I群と東の曲輪II群によって構成されている。
主郭部は曲輪I群で主郭は最高所I1である。I1は東端のみ高さ1mほどの土塁を備える。一般的に一つ尾根に築かれた連郭式の曲輪群で一辺にのみ土塁を設けるときは尾根背後に設けることがお多い。これは尾根先が正面としているからであるが、この曲輪I1の土塁は東側に設けられているため、西の尾根背後を正面と見ている可能性が高く、西尾根に古道があったためと思われる。
主郭の西背後の尾根には大きな堀切1があり、外側にも小規模な溝が二本確認できる。
主郭I1の東下にはI3、I4、I5と曲輪が続く。I4とI5には虎口らしき地形があり、I5は構造から虎口と思われ、脇に巨石が残る。
東側の曲輪群IIは東西に長い曲輪II1があり、東端は堀切2で遮断している。西の曲輪群Iにつながる尾根には小規模な段曲輪群II2が設けられている。II1の南西は一段低く、そこからさらに山道が段曲輪群II2の南側面を下っていることから、これも城道の可能性が高い。
西側の尾根に舗装林道がある。南の原地区側から林道にはいるとすぐに駐車スペースがあり、そこからは歩いていくのがよい。
最寄り駅(直線距離)