詳細不明。『岡山県中世城館跡総合調査報告書』によれば備中兵乱(天正2~3(1574-1575))で使用されたとの伝承がある。
城山城は津々川南岸、御嶽神社の背後に伸びる比高50mほどの低丘陵に築かれている。
主郭はI1で中央に大日如来湯殿山の石碑が建てられている。曲輪には土塁がなく傾斜しており削平は甘い。周囲の尾根を遮断するように高い切岸が巡り、西尾根を堀切1、南尾根を二重堀切3、北尾根に小さな堀切2が設けられている。北東側は堀切がなく帯曲輪I2、I3が設けられている。このうちI2の南端は二重堀切3の内堀の末端に接続している。
主郭Iから南東に伸びる尾根には加工の甘い尾根IIIがあり、その先に曲輪群IIがある。最高所から北に向かって小さな段加工が施されているが削平は甘く段差も小さい。北端は高い切岸となるが堀はない。東尾根は堀切4を設けて遮断する。その先にも溝があるが切通のようである。
北の県道310号線沿いにある橋の入口に「中井町多目的グラウンド」の道標がある。それに沿って進むとグラウンドを経由して御嶽神社の参道がある。神社の背後から尾根伝いに進むとすぐに主郭に達する。
車はグラウンド前に駐車可能。
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