備中 四ッ畝城びっちゅう よつうねじょう

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (備中国/岡山県) > 四ッ畝城
Tweet
備中 四ッ畝城の写真
掲載写真数
形態
山城(480m/80m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,竪土塁,曲輪,堀切,虎口
城 主
工藤治郎兵衛尉,高橋資高,宇喜多氏,馬屋原兵部大夫
縄張図
四ッ畝城縄張図
歴 史

築城年代は定かではない。城主は末次城主でもあった工藤治郎兵衛尉、高橋右馬允資高などが伝えられる。

宇喜多氏が毛利方から織田方になると、天正8年(1580年)宇喜多氏の武将が在番していた四ッ畝城を毛利の武将吉川元春が攻略し、馬屋原兵部大夫が在番した。その後、毛利氏と羽柴氏の和平によって宇喜多方に明け渡された。

説 明

四ッ畝城は4つの峰が連なる四峰山の中央の二つの峰に築かれている。

中央の鞍部を挟んで東西に曲輪群がある。鞍部の部分も削平してあり、南に虎口状の地形が確認できる。周囲の鞍部付近には人工地形がないので、これらも城にともなう地形と考えられる。鞍部から西曲輪群に通じる部分には2ヶ所の竪土塁があり、東曲輪群に通じる道も南側面に設けられ一部土塁状になっている。

西曲輪群は岩が多いこともあり最上段の部分は削平が曖昧で微妙な地形が多い。一段下がってL字になった曲輪W2が最も削平具合が良く、西端には土塁を伴う。西尾根側には短い竪堀状地形Aが残るが自然地形のようである。そこから降った鞍部に幅の狭い溝があり山道にはなっていないようなので堀切のようである。

東曲輪群は西曲輪群よりもよく削平されている。最高所はE1で城内側E2に向けて土塁を築いている。曲輪E2は広く微妙な段があり、東端には土塁を設けている。南端には虎口があり、そこから南側面に鞍部と通じる道があり脇に段曲輪群E3がある。

案 内

東の県道312号線と440号線の交差点から少し西に入った所から山道がある。山道は峰を迂回するように南側面を回っており高低差は少ない。道の右側に炭窯跡が確認できたら、その上の尾根に登ると西曲輪と東曲輪の間の鞍部に至る。

車は交差点南側の空き地に駐められる。

主な参考文献
岡山県中世城館跡総合調査報告書
所在地/地図
岡山県真庭市上水田(四峰山)
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
2.3km 備中 小松城
2.4km 備中 陣山砦
2.4km 備中 荒木城
2.6km 備中 福尾城
2.7km 備中 山東塚城
2.7km 備中 殿屋敷
2.7km 備中 飯山城
3.0km 備中 秋庭氏居館
3.0km 備中 片山古城
3.1km 備中 定砦
3.2km 備中 有漢常山城
3.5km 備中 片山城(真庭市)
3.6km 備中 中津井陣屋
3.9km 備中 柾木館
4.1km 備中 土井砦(下中津井)
4.2km 備中 井尾城
4.4km 備中 飯の山城(有漢)
4.4km 備中 台ヶ鼻城
4.5km 備中 佐井田城
4.8km 備中 飯ノ山城(上有漢)
4.8km 備中 植木館
5.0km 備中 植木城
5.2km 備中 丸山城(下呰部)
5.8km 備中 上合地砦
最終訪問日
2022年10月
TOP > > (備中国/岡山県) > 四ッ畝城