築城年代は定かではないが永禄年間(1558年~1570年)頃に三上淡路守重信によって築かれたと云われる。
三上氏は近江国佐々木氏の分流で故あって備中の三村家親の客食となっていた。
永禄5年(1562年)重信が没したのちは嫡子重吉が家督をついで城主となり、幸山城主石川久智の女を室に迎えた。
元亀元年(1570年)柏山城の落城によって三上重吉は討死したという。
柏山城は高梁川に面した標高428mの山に築かれており、現在は主郭下に愛宕神社が祀られ林道がとおっている。
山頂部に主郭Iがある。北下に愛宕神社が祀られており、林道はこの神社北下まで回り込んでつけられているが、曲輪内部の改変は少なそうな印象である。
東の三角点のある小ピークに曲輪IIがあり土塁状の高まりがあるが端ではなく、やや内側にあり用途は不明である。
東端ピークから南東へ伸びた尾根の下に曲輪IIIがあり、尾根の先端を竪堀が長く伸びる堀切1で遮断している。余談だが曲輪IとIIの間にたっているアンテナから伸びるケーブルはこの尾根を下って続いている。
主郭から南西に伸びる尾根は林道によって大きく削られているため分からなくなくっている部分が多いが、西側面に畝状竪堀群2がある。この竪堀群の上を山道があり曲輪I西下まで続いているが、これが城道であったかどうかは判然としない。
この畝状竪堀群の上の曲輪は南端に土塁があり、一部列石が認められる。
柏の集落まで車で行くことができる。そこから山頂方面に続く道は最後の民家からしばらく行くと未舗装になる。民家の先のカーブするあたりが広いので駐車することができる。
林道は未舗装ながら道幅が広いので、木の枝などを取り払いながら進めば車でも行くことができそうである。
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