伝承によれば寿永年間(1182年~1185年)頃に源範頼が平家追討のときにここに陣を置いたという。
戦国時代には備中松山城主庄氏の一族である津々加賀守範宗の居城で、天文2年(1533年)庄為資が三村家親に攻められたときには、この城から為資支援のために出陣したという。
加葉山城は津々本村の北背後の標高352mの山に築かれている。
主郭は山頂Iで神社が祀られているが倒壊している。山頂から周辺に向かって小さな段差で平場が加工されているが造成は甘く段々自然地形になっていく。
山頂から東へ伸びた尾根に二条の堀切を設けている。堀切の間の尾根IIはほぼ自然地形で明確に曲輪とは言い難い。
南麓にある農村生活改善センターの裏の谷筋、右上にお堂があるが、その一つ上の道が谷筋を登る林道になっている。林道を峠まで登って尾根伝いに行けば主郭に達する。
車は農村生活改善センターに駐めさせていただいた。
最寄り駅(直線距離)