詳細不明。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 』に未掲載で、CS立体図で城跡のような地形を確認して実地調査した結果、城郭遺構を確認した。『芸藩通志』や『千代田町史』、『本地村史』にも未掲載であるが、地元の方に聞いたところ、城跡があるのはご存知で、「立平」という地名があるとのことであったので、仮称 立平城として紹介する。
立平城は海見山から北東へ伸びた山塊の標高590m付近にあり、葛掛山城とは谷を挟んで南側に位置する。
主郭は南端最高所で北に向かって緩やかに下る地形に沿って内部が段分けされている。東西両端が通路になり、北端は一段大きく下がって曲輪IIがある。曲輪IIは東から北にかけて土塁があり、北東隅が開口して虎口となる。
北尾根は堀切1で遮断、南は南西と南東に竪堀を鋭角に組み合わせたような堀切2、3で遮断する。等高線だとわからないが、南東尾根は小さな谷があり、ちょうどその部分に堀切4を設けている。堀切4の竪堀は山道と接続していていくつかの溝が入り組んでおり構造がわかりにくいが、堀切なのは間違いない。
曲輪の西側面に2ケ所の屈折があって張り出しているが、外側に竪堀などの遺構は認められない。
道はない。谷筋に林道がとおっているが今は殆ど使われておらず倒木などが多い。南側からアクセスするほうが行きやすい。