詳細不明。芸藩通志によれば笠間氏の家臣の居城で「くひゝ谷」と呼ばれているという。国土地理院の地図で「柆谷(ぐいび)」とあるのが南にある。
鬼ヶ城は滝脇山の南西の麓、県道314号線北側の低丘陵に築かれている。
県道に近い南側が小高く切り立っており、ここに南北二段程度の削平地が設けられている。ここを詰として北側の山腹に遺構が拡がるが、土塁らしき土盛りや堀切らしき窪地が点在しており、城の遺構なのかどうか判断するのに苦慮する。「広島県中世城館遺跡総合調査報告書」に掲載されている縄張図ではこの辺りは図化されておらず、城跡にともなうものとは見ていないようである。
図化されている部分は、詰の部分から北東下にあり、ここには屈折を伴う土塁や、北へ伸びる細尾根に設けられた堀切を通路としたような虎口がある。この尾根の先端付近は削平されており、切通状の堀切を挟んで北側にも削平地がある。