詳細不明。笠間氏の居城という。 笠間氏は栗栖氏一族で、故あって笠間と名乗り吉川氏に属したという。 天文19年(1550年)笠間修理亮の跡目の事で、笠間知行の内、吉木・都志見・戸谷が吉川治部少輔(元春)に宛がわれている。(吉川家文書449,450)
また、笠天山城も笠間氏の居城と伝えられる。
槙尾城は吉木川の北岸にあり、明覚寺の北東背後の山に築かれている。
槙尾城は南東に張り出した尾根を北から北西側に掛けて巨大な空堀を巡らせ、尾根の先端を切り離して城郭としている。西側は古道であろうか、堀底状の道となって南の集落まで続いている。
北側に設けられた横堀状の巨大な空堀と、高く聳えた主郭の切岸はまさに圧巻である。 この北の切岸と西側の切岸は高く、北西隅の最高所を主郭として扇状に削平地が展開している。階段状に展開する削平地は、北の切岸と西の切岸に面して所々削り残しの土塁を設けている。最下段の曲輪は現在民家が建っていて未確認であるが、その背後から通路が山上に通じているという。
県道314号線沿いにある明覚寺を目指す。寺の前の中腹にある道を東へ行くとコンクリートの道が山上に上がっているが、これが最下段の曲輪に建てられた民家への道になっている。これとは別に西の堀底道から入る方法があり、これは県道を少し西へ行くとゴルフ場の「アイリスへの近道」と記された道標が出ている道を入り、最初の大きく曲がった辺りにある墓地の脇から山に入ることができる。