詳細不明。南北朝期に志道村地頭職を有していたと考えられている松田氏の城とされる。松田氏は室町幕府奉公衆で、案内板にある松田丹後守晴秀は足利義晴、義輝に仕えていた。
松田城は志屋小学校の東背後、比高50mほどの丘陵に築かれている。
主郭部は山頂の最高所の曲輪I、IIで南に一段低く腰曲輪IIIがある。この主郭部全体が高い切岸に囲まれている。
東に伸びた尾根は二重堀切で遮断しているが、主郭の切岸下部や堀切周辺にも緩斜面が拡がっている。この緩斜面は耕作にともなう改変地形で曲輪とはみなせない。
主郭から北へ続く尾根には堀切がないが、尾根に一段低くなったAの位置に堀切があったとすれば、削平地IVは曲輪として機能していた可能性もある。
志屋集会所の東側の空き地に案内板が設置され、「松田氏城山 徒歩5分」と道標が出ている。ただ現状どこから登るかわからない。近くの民家の方に登り方を聞いた所、その家の脇の小道を使って登って良いとのことで、そこから登った。
最寄り駅(直線距離)