水戸新四郎の居城で元久元年(1204年)に落城したと云われる。
城は広島大学の西にある二神山に築かれている。東端の頂部が「東城」、西端の頂部が「西城」そしてその南にある頂部が「本城」と呼ばれている。
本城は東西二段の削平地があり、一段高くなった西側の曲輪の北端が東へ張り出している。南側は岩場でその下に竪堀が一条ある。
西城は東西に長く東から西へ段々と削平地が連なるが段差はごく僅かである。南西斜面には四条の連続竪堀があり、東下には堀切が一条ある。
東城は極狭い削平地があり、竪堀があるらしいのだが崩落した溝と見分けが付かない。