大内義長の墓(功山寺)おおうちよしながのはか
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大内義長は周防山口を拠点とした戦国大名大内氏の第32代当主である。大内義隆が家臣の陶隆房(後の陶晴賢)の謀叛によって没した後、義隆の猶子となっていた豊後の大友宗麟の弟晴英が大内氏の家督を継いで義長と名を改めた。しかし、陶晴賢が厳島合戦で毛利元就に敗れて討死すると、毛利氏は周防、長門へと侵攻、高嶺城を脱した義長は且山城に籠もって戦うが敗れ、功山寺の仏殿にて自刃し大内氏は滅亡した。
大内義長の墓は功山寺の西背後にある墓地の奥の方にあり、道標が付いている。