長門国分寺こくぶんじ
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長門国分寺下関市長府宮の内町にあった。 中世は大内氏さらに毛利氏による庇護を受け、江戸時代には長府毛利氏の庇護を受けていたが、明治維新後に衰退した。現在の国分寺は真言宗の寺院で、明治23年に下関市役所西隣の下関市南部町4丁目(地図に移っている。
長門国分寺は長門国府の推定地である忌宮神社の西にあり、周囲は宅地となっているが、道路の片隅に国分寺跡の碑が建ち、その脇に礎石が一基残っている。 木造不動明王立像と絹本著色十二曼荼羅図(ともに国指定重要文化財)は現在の国分寺に引き継がれている。