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出雲国府国史跡
島根県松江市大草町山陰道に位置する出雲国は、延喜式の格付けでは上国・中国である。
その出雲の国府は長年その所在がわからなかったが、昭和39年に郷土史家が江戸時代の検地帳から「こくてう」の文字を見付け、昭和42年より発...
石見国府
島根県浜田市下府町山陰道に位置する石見国は、延喜式の格付けでは中国・遠国である。
国府は現在も地名として残る上府(かみこう)あるいは下府(しもこう)にあったと云われるが、明確な遺構は発見されていないようである。
現...
熊野大社
島根県松江市八雲町熊野延喜式名神大社。出雲国一之宮。御祭神は神祖熊野大神櫛御気野命(かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと)。
日本書紀(720)659年に出雲国造が斉明天皇の勅で厳神の宮を造営したと記し、熊野大社と見...
出雲国分寺国史跡
島根県松江市竹矢町出雲国分寺は松江市竹矢町にあった。
発掘調査によって伽藍の配置が確認され、南北に南門・中門・金堂・講堂・僧坊が配置され、講堂から中門に廻廊が巡らされ、その外側に塔が建っていた。現在は国指定史跡として...
石見国分寺国史跡
島根県浜田市国分町(金蔵寺)石見国分寺は浜田市国分町にある金蔵寺の境内に置かれていた。
金蔵寺は浄土真宗のお寺である。
国分寺跡は金蔵寺の境内になっているため、全体的な発掘調査は行われていないが、昭和60年から行われた発...
石見国分尼寺県史跡
島根県浜田市国分町石見国分尼寺は国分寺の東方300m程の所にあった。
ここには近年まで国分寺という名の曹洞宗のお寺が存在していたが、荒廃してしまって今は跡形も残っていない。この辺りには「比丘尼所」、「尼所」、「大門」...
伊甘神社
島根県浜田市下府町祭神は天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)。創建は貞観3年(861年)5月5日。
延喜式内社で石見総社を合祀し、石見国府跡に鎮座している。社宝に印鑰神社の棟札が残るという。
口羽家墓所(宗林寺)町史跡
島根県邑智郡邑南町下口羽(宗林寺)口羽氏は毛利氏庶流で享禄4年(1531年)頃に口羽通良が口羽村を与えられ、琵琶甲城を築いて居城としたことに始まる。口羽通良は毛利家の重臣として活躍し、その子孫は毛利氏に従って萩へ移った。
宗林寺...
医光寺(滝蔵山)国名勝
島根県益田市染羽町4-29益田市にある医光寺は山号を滝蔵山といい臨済宗東福寺派の寺院である。
入口に聳える惣門は中世にこの辺りを治めていた益田氏の居城七尾城の大手門で、関ヶ原合戦後に毛利氏に従い長門国須佐へ移り廃城となっ...
高橋興光の墓
島根県邑智郡邑南町木須田高橋興光は藤掛城主で石見、安芸一帯に勢力を持った国人領主であったが、大内氏から尼子氏へ鞍替えしたことから、大内氏の命を受けた毛利元就によって攻められ、自刃したという。
高橋興光の墓は常栄寺の近く...
小早川正平墓所
島根県出雲市美談町小早川正平は安芸の沼田小早川家当主で安芸高山城主であった。
天文12年(1543年)周防の大内義隆が大軍を率いて出雲の尼子氏の富田城を攻めたが、小早川正平もこれに随行していた。当初大内方であった...
隠岐国分寺
島根県隠岐郡隠岐の島町池田風呂前国分寺
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