高橋興光の墓たかはしおきみつのはか
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高橋興光は藤掛城主で石見、安芸一帯に勢力を持った国人領主であったが、大内氏から尼子氏へ鞍替えしたことから、大内氏の命を受けた毛利元就によって攻められ、自刃したという。
高橋興光の墓は常栄寺の近くにあり、寺の背後の墓地を川に沿って南へ進んで行くと川の淵に建っている。墓碑には「藤掛城主 高橋大九郎興光之墓 享禄二年五月二日」と刻まれているようである。