甲斐宗摂の墓かいそうせつのはか
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甲斐宗摂は中崎城主で仲山城主三田井親武の重臣であった。天正19年(1591年)縣城主となった高橋元種にそそのかされ、主君三田井氏の仲山城を攻め落とし、三田井家を滅亡へと追いやってしまった。その宗摂もまた謀叛の疑いによって、文禄4年(1595年)高橋元種に中崎城を攻め落とされ、城外へ逃れたものの鶴の平で自刃して果てた。
甲斐宗摂の墓は大人神社の南西にある地蔵堂の所に残されている。ここには甲斐宗摂の墓の他、宝篋印塔や五輪塔などの石塔群があり、宗摂の一族の墓とも伝えられている。