甲斐宗摂の墓かいそうせつのはか

城郭放浪記


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甲斐宗摂の墓の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
町指定史跡
説 明

甲斐宗摂は中崎城主で仲山城主三田井親武の重臣であった。天正19年(1591年)縣城主となった高橋元種にそそのかされ、主君三田井氏の仲山城を攻め落とし、三田井家を滅亡へと追いやってしまった。その宗摂もまた謀叛の疑いによって、文禄4年(1595年)高橋元種に中崎城を攻め落とされ、城外へ逃れたものの鶴の平で自刃して果てた。

甲斐宗摂の墓は大人神社の南西にある地蔵堂の所に残されている。ここには甲斐宗摂の墓の他、宝篋印塔や五輪塔などの石塔群があり、宗摂の一族の墓とも伝えられている。

甲斐宗摂の墓の写真
3:甲斐宗摂墓石
甲斐宗摂の墓の写真
6:一族の墓と伝えられる石塔群
所在地/地図
宮崎県西臼杵郡日之影町岩井川2109
付近の史跡(直線距離)
0.1km 大人神社
0.1km おひやさまの墓
6.8km 向山神社
7.6km 高千穂太郎の墓
8.0km 高千穂神社
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