築城年代は定かではない。高千穂氏の末裔、大神姓三田井氏の居城という。 高千穂氏は神武天皇の兄三毛入野命の子孫を称し、三田井氏とも称していたが、天慶年間(938年〜947年)に家系が途絶え、大神大太惟基の長子大神太郎政次を養子に迎え、大神姓三田井氏の祖となったという。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による九州征伐で高千穂郷は縣城主となった高橋元種の所領となったが、三田井親武はこれにしたがわなかったため、高橋元種は三田井氏の家老甲斐宗摂を味方に引き込み、仲山城を攻め落とし、文禄3年(1594年)に三田井氏は滅亡した。
仲山城は山塊から北東に伸びた尾根の一つに築かれていた。仲山城への道標が出ており、これに従って車を走らせていくと『仲山城跡キャンプ場』へと行き着く。どうやらキャンプ場になってしまっているようで、入口まで行ってみたが、無断立ち入り禁止ともあり引き返す。