寛政11年(1799年)延岡藩によって設けられた高千穂荘を統括する代官所である。
はじめ高千穂荘を統括する代官所は舟の尾代官所であったが、寛政9年(1797年)3月13日に焼失し、寛政11年(1799年)に移転して設けられ、明治元年(1868年)に高千穂へ移るまで続いた。
代官所は宮水集落の北の山裾に設けられている。 現在辺りは水田となっているが、台風被害で埋もれていた井戸が掘り起こされ復元され案内板が設置されている。
「宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書」の地図をもとに探したのだが、見当たらず付近の方に伺ってこの場所を特定することができた。
国道218号線で宮水集落に入ると国道に三本の陸橋が架けられている。このうち宮水小学校から北へ中央の陸橋を使って北上すると道がわかれるが、右側の「仲畑住宅」と記された道標にそって山へ向かう。住宅の奥にある水田の所に井戸跡が残る。