築城年代は定かではない。
高千穂四十八塁の一つで、天正年間(1573年〜1592年)の城主は甲斐将監惟房であった。 甲斐惟房は仲山城主三田井氏の家臣であったが、文禄年間(1592年〜1596年)に縣城主高橋元種によって攻め滅ぼされたといわれる。
亀頭山城は日向と肥後の国境に近い標高560m程の山に築かれている。現在は主郭部分が公園となり整備されている。
亀頭山城は山頂部に北西から南東に伸びた細い曲輪がありここが本丸とされる。その周囲には開墾されて畑となった緩斜面地が拡がっており、この部分も曲輪のようである。主郭から北西に伸びた尾根に三条の堀切を設けて遮断している。
国道325号線田原バイパスと県道8号線との交差点付近に案内板が出ている。本丸近くまで車で登っていくことも可能であるが、舗装路ながら道は狭く歩いて登る方が無難かもしれない。