高千穂太郎の墓たかちほたろうのはか

城郭放浪記


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高千穂太郎の墓の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
町指定史跡
説 明

高千穂太郎は神武天皇の兄三毛入野命の子孫を称する高千穂氏の家系が途絶えた天慶年間(938年〜947年)に、大神大太惟基の長子大神太郎政次が養子となって高千穂太郎と称したという。

高千穂太郎政次を祖とする大神姓三田井氏は代々高千穂郷を治めたが、天正19年(1591年)縣城主となった高橋元種によって仲山城を攻められ、文禄3年(1594年)滅亡した。

高千穂太郎の墓の入口は北麓の県道沿いにあり、そこから50mほど登った標高380m付近に墓がある。ここには高千穂太郎の墓の他、三田井親武の墓もある。

高千穂太郎の墓の写真
3:入口
高千穂太郎の墓の写真
14:三田井越前守親武公の墓
所在地/地図
宮崎県西臼杵郡高千穂町向山
付近の史跡(直線距離)
0.9km 向山神社
1.1km 高千穂神社
7.6km おひやさまの墓
7.6km 甲斐宗摂の墓
7.7km 大人神社
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