陶晴賢の首塚(洞雲寺)すえはるかたのくびづか(とううんじ)
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陶晴賢は周防の戦国大名大内家の家臣で周防若山城主であった。主君大内義隆を討ち、大内義長を当主に据えた。
弘治元年(1555年)9月陶晴賢は毛利元就と合戦となり厳島へ渡海して毛利方の宮尾城を攻撃した。しかし、毛利元就の軍勢に背後から急襲され壊滅、晴賢は青海苔浦へ逃げて島からの脱出を目指したが船がなく、安ヶ原で自刃したとされる。その後、桜尾城で首実検が行われ洞雲寺に葬られた。