己斐豊後守師道戦死之地こいぶんごのかみしどうせんしのち
△トップに戻る
己斐豊後守師道は己斐城主己斐豊後守宗瑞である。永正14年(1517年)有田中井手の戦いで武田元繁に従って戦ったが、大将である武田元繁が吉川毛利連合軍に敗れ討死してしまった。残兵は今田城に退いて軍議を開き、一度退いて体勢を立て直すことを主張したが、香川行景と己斐宗瑞は弔い合戦を主張し、翌日敵陣に打って出て討死した。
「己斐豊後守師道戦死之地」の碑は中国自動車道のすぐ近くにあり、南から高架下を潜って北側に出た所にある。