己斐豊後守師道戦死之地こいぶんごのかみしどうせんしのち

城郭放浪記


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己斐豊後守師道戦死之地の写真
掲載写真数
種類
供養塔
文化財指定
なし/不明
説 明

己斐豊後守師道は己斐城主己斐豊後守宗瑞である。永正14年(1517年)有田中井手の戦いで武田元繁に従って戦ったが、大将である武田元繁が吉川毛利連合軍に敗れ討死してしまった。残兵は今田城に退いて軍議を開き、一度退いて体勢を立て直すことを主張したが、香川行景と己斐宗瑞は弔い合戦を主張し、翌日敵陣に打って出て討死した。

「己斐豊後守師道戦死之地」の碑は中国自動車道のすぐ近くにあり、南から高架下を潜って北側に出た所にある。

所在地/地図
広島県山県郡北広島町有田
付近の史跡(直線距離)
0.5km 武田元繁戦死之地の碑
0.7km 熊谷元直の墓
1.9km 山県信春の墓
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