築城年代は定かではないが室町時代後期に狭川福岡氏によって築かれたと云われる。
狭川氏は春日若宮祭礼の長川方願主を努めていた。
上狭川城は比高60mほどの丘陵に築かれており、現在は登山道が整備されている。
主郭Iは土塁が囲繞し、北と南に虎口を開く。土塁は高いところで2m近くあり、北側で幅広くなっている部分は土塁を崩して広げたためと思われ、主郭には開墾のための溝切が残っている。
この城の最大の特徴は主郭の南側から続く技巧的な導線で、土塁囲みの小郭II、IIIを経て堀切2の土橋に続く。
一方北虎口は緩やかにカーブした土塁に沿って北の尾根に出る構造である。こちらは行者堂に続く参道がつけられているため、不明瞭な地形になっている。北尾根側には現状遮断する堀切は見られないが、尾根の両脇に竪堀5、竪堀4が確認でき、北東尾根側には浅い堀切6と堀切7が確認できる。
南の狭川東町公民館から登ることができ、駐車可能。登口は公民館裏の小さな社の東側にある。
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