山城 草路城やましろ くさじじょう
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築城年代は定かではない。文明14年(1482年)山城国守護の畠山政長が南山城の国人衆を草路城に籠城させ、畠山義就の侵攻に備えたが落城した。
草路城は咋岡神社境内となっている。
四方に水路が巡っているのが堀の名残とされる。西面は北西部と南西部が入隅になっていて中央が西へ突出する。
曲輪となる境内内部は水路に面して土塁状の高まりがあるが、平城にしては低い。内部にも色々凹凸があるが城の遺構としては判然としない。