築城年代は定かではないが天野安芸守虎景によって築かれたと云われる。
天野虎景は犬居城主天野氏の庶流で、その子天野宮内右衛門藤秀が在城した。 永禄6年(1563年)天野氏宗家の天野景泰・元景親子が今川氏から離反したため、天野藤秀の子景貫が天野家の惣領となって犬居城へ移り、甥の和田河内守秀長が在城したと伝えられる。
天正2年(1574年)徳川家康は武田方となった天野氏を攻めた時、徳川軍と戦いがあった。
篠ヶ嶺城は篠峰城(ささみね)とも呼ばれ、気田川が大きく蛇行し、それに対して半島状に突き出した尾根に築かれている。木の子島と呼ばれる麓の南東の尾根頂部に主郭が築かれ、北西の尾根に二郭、三郭、南尾根にも曲輪を配している。
主郭は山頂にあり、南に土塁を設け北に虎口を開く。南の土塁の外側にも小郭があり、そこから南へ細長い曲輪が連なり、南端を堀切で遮断している。北の虎口はやや凹んだ地形から出ておりね二郭へ通じる。
二郭は東西に広く中央に虎口があり三郭へ通じる。この虎口が特徴的で、内桝形からやや幅広のスロープが土橋となり、西は大きな堀が付いている。このスロープが手狭な三郭を更に二分するようになっており、その先は細尾根に不明瞭な段が連なって降りていく。
国道362号線のトンネル北口から西の集落内に入る道を進み、最初のy字路を右上に上がって山路自治会館を目指す。ここからさらに細い車道を戒光院(廃寺?)に向かって登る。この戒光院に車を置くことができる。戒光院からさらに上へ続く車道を上り詰めるとそこから山道が付いている。これを抜けると発電所へ出るが、そこから山上に入り尾根伝いに山道をあるけば、石碑と案内板のある主郭に着く。(入口の地図)