築城年代は定かではない。犬居城主天野氏の支城の一つとされる。
天正4年(1576年)犬居に侵攻した徳川家康の軍勢が樽山城を落とすと、天野藤秀は勝坂へ退き、塩坂で柵を設けて徳川軍の侵攻を妨害しようとしたが、徳川軍の大久保忠世の軍勢が石が嶺に登って強襲したため、支えきれずに塩坂、勝坂を捨てて猪ヶ鼻へ籠もったが、ここも攻められ武田氏を頼って落ちたという。
勝坂城は気田川が大きく蛇行して流れる標高340mほどの山に築かれている。
現在西側に県道が通っており独立した丘陵状になっているが、もともとは尾根続きであった。
山上には山頂を中心に小規模な削平地が連なっているが加工は少ない。東の尾根先にやや広い緩斜面地形があるが、大軍が籠もるような城ではない。県道が通っている部分に堀切があったかどうかは定かではないが、周囲は険峻な斜面に囲まれており、現状堀は見当たらない。
西側の県道の切通部分に案内板が設置されている。案内板の裏手からよじ登ることができるが、あまりに急坂で降りるのに苦労するので、おすすめしない。
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