築城年代は定かではない。南北朝時代に天野氏によって築かれたと云われるが定かではない。
享禄2年(1529年)には二俣近江守が城主で、天文4年(1535年)には今川氏輝が匂坂長能に城主となるよう命ぜられている。
永禄11年(1568年)には今川氏真が奥山兵部丞・左近将監父子に中日向城の普請を命じているが、永禄12年(1569年)には徳川家康から奥山兵部丞・左近将監父子に安堵状が出されている。天正2年(1574年)には武田氏から奥山右馬助・左近丞宛に朱印状が出されており、この頃は武田氏に従っていた。
中日向城は白倉川と小芋川との間に聳える標高479mの山頂に築かれている。 山頂の主郭には稲荷社が祀られており、南東へ伸びた尾根に曲輪を展開する。
主郭は山頂にあって稲荷社を祀る。周囲はやや高く土塁が取り巻いているようにも見える。南東へ伸びた尾根に曲輪が展開するが、主郭部より削平は曖昧で、切岸も主郭程切り立ってはいない。主郭の北下に小段があり、北から西側にかけて主郭の切岸下を巡るように堀が巡らされ、外側には土塁が付いて横堀状となる。その外側にも堀があり部分的に二重堀になっている。
国道152号線龍山第一小学校の南側から白倉川に沿って西へ入って行く県道361号線がある。ちょうど白倉滝への道標が出ている。これに沿って西へ進んでいくと中日向上のバス停があり、そこから川を渡って城山の南山腹にある集落内に入って行く。この道の舗装路の終点から未舗装林道となり、これを進んで行くと登山口がある。 未舗装林道になる所に車を置くスペースがある。また林道もそれほど悪い道ではないので登山口まで行くこともでき、入口付近に駐車するスペースもある。
最寄り駅(直線距離)